この稿は前編「サテンM7−45針修復の記」の続編であります。前編の第一図(2)はM7−45の思いがけなく回復した周波数特性を示しております。全体として丸みを帯びた曲線と部分的には3kHzから6kHzにかけてのゆるい凹(へこ)みにご注目下さい。決して優等生的な、つまり1kHzから18kHz(使用した1ch用の周波数レコードの限界)まで一直線であるようなカーヴではありませんが、レコード音楽を聴き、楽しむには何の問題もありませんでした。しかし、第二部でお話してあるようにcantileverが根元から折れて、それを修復してから問題は起こり始めたようなのであります。ひとごとのような書き方でありますが、私はあまり気の利いた人間でありませんので、こんな書き方しか出来ません、ここはご勘弁願います。何しろ中古品を入手してから四十年近く寝かせて置かねばならなかった憧れのサテン、しかもM7−45ですから毎日のように聴きました。と同時にメカニズムも独特ですからLPを片面聴いてはアームから外して針の僅かなごみを電音の柔らかい刷毛で清拭し、ついでにと言うよりそれが目的で針を指先で軽く上下左右に動かしたりして喜んでおりました。この時の印象ではcantileverや発電系を含めた全体の動き、コムプライアンスはDL103に比べてやや固い感じでした。しかしそんな事?には一向構わずに聴き続けました。時には電音やテクニカなどと聴き比べなどしました。当然ですがM7ばかりですと、いくら針圧1.5gの丸針でも磨耗と言うことを考えたからであります。「修復の記」は昨年(’10年)の10月の初めでしたから、もう七箇月が経っています。針の磨耗もさる事ながら、針を指でいじった時間(回数)も無視出来ないと思いました。塚本社長のご子息は「針を指などでいじってはもはやサテンではない」ときつい事を仰ったそうでありますがそう言う事も頭をよぎりました。そこでこの五月、久し振りに周波数特性を取ってみました。前編に連結して第一図(3)と致します。測定値を両対数グラフ用紙にプロットしてみて驚きました。ご覧のとおり、以前の穏やかな起伏を持ったカーヴは姿を変え、8〜9kHzに6dB近いきついピークを持ち、その反動で、より高い方へは急激に減衰しております。ゆるやかなへこみはピーク隆起のため姿を消しました。この原因が、折れた針の修復によるものか、つまり修復当時からのものか、七箇月いじって来た結果なのか、何れとも判定がつきません。何しろ、修復後の特性を取り忘れるようなオッチョコチョイでありますから。しかし、この五月下旬に特性を取るまでは、否、特性をとっても、音に少しつやが出て来たかななどと思うくらいで、スクラッチ音も含めて音自体に特別な変化は感じられず、後にそんなに大事(おおごと)になるとは思いもしませんでした。それでそのまま聴き続けたのでありますが、一箇月後気のせいかスクラッチノイズに変化が現れ出しました。それまでは、ピシリとかパシリとか抑え気味の音でありましたが、今度はパチン、ピチンなどと跳ねるような音調に変わって来ました。当然、楽音も高音がきつくなり、嫌な音に変わりました。暫くM7を聴くのをやめ、他ので聴いていましたが、やはり気になって7月下旬に特性を取りました。結果は第一図(4)の如しで、全く驚きました。10kHzに12dB(4倍)、おまけに6kHzにまで1.5倍のピークが生じていたのであります。
ここからが本論でございますが、序の部と違って細かな工程が主になりますので、ざっと工程をお話しておきます。(1)から(5)まであります。(1)カヴァーを外して、(2)はみ出たグリース(grease)をかき集め、(3)これらをコイルと、マグネットやポールピースの間に入れ直し、(4)周波数特性を取る、(5)再び(3)を行う、(4)を行う、と言う工程からなります。先ず一回で終わることはないと思います。私は三回も(5)、つまり(3)と(4)を繰り返しました。
最初にカヴァーを外しますが、ヘッドシェルはつけたままにします。この方がカートリッジのみの時より持ち易く、誤って取り落とす事故も殆ど起きません。次にコイルとマグネット、ポールピースをよく観察します。すると例えばポールピースのコイル側の縁(ふち)に白っぽい蝋のような塊が散見されます。蝋と申しましたが、これは少し透明感があると言うことで、元々のグリースは透明感がなく、丁度化粧品のクリームのような白さと柔らかさで、細い銅線で掬いますと少しだけ尾を引いて後を引かず、さらっとした感覚でありました。そこへ行きますと、製造以来四十年と言う年月を経た今のグリースは変化を遂げていて柔らかな蝋状を示しますが、上述のクリームのような柔らかさはありません。無論、掬った時尾を引くなどは望むべくもありません。さて、この状態のグリースを掻き集めるには磁石に無感応な銅線が適していまして、初めは20芯のヴィニール線を使いました。しかし、0.17mm径のメッキなしでは腰が弱くて使いものになりません。結局使用したのはスピーカー用の0.2mmのものでありました。これを4cmに切り、更に半分の所で被覆を剥き、2本だけ残してあとは不要ですから切り落としました。被覆の部分を持って2本のメッキ線を操って少しづつ蝋状の古グリースを掻き集め、コイルとポールピースの隙間へ詰め込んでいきます。一箇所からだけでなく、発電に寄与する部分全体を見ながら詰めます。初めからギュウギュウ詰めてはいけません。少し足りないと思われる程度で一旦やめて周波数特性を取ります。私の場合は、第一図(5)のようにピークは12kHzに移動し、高さは2.8倍(9dB)に下がり、6kHzのピークは消えていました。二度目の詰め込み第一図(6)でピークは2倍(6dB)に下がり、欲を出した三度目では第一図(7)のように2kHzから7kHzにかけてゆるい窪みとなってしまいました。しかし、言いわけでありますが、一番低い所で0.9倍ですから殆ど1.0倍と考えてよいと思います。つまり殆どフラットであると。しかも、高い方のピークは1.5倍に抑えられ、今は第一図(7)で聴いているわけであります。スクラッチも以前どおりに大人しくなりましたし、ピークも小さくはありませんが、ずっと高い方へ移動してくれたので耳障りな音ではなくなりました。所で、上に<元々のグリースは透明感がなく、丁度化粧品のクリームのような白さと柔らかさで、細い銅線で掬いますと少しだけ尾を引いて後を引かず、さらっとした感覚でありました。>と書きましたが、これをお読みになっている方の中には「何故お前はそんなことを知っているのか」と疑問を持たれる向きもあるかと思います。簡単な事ですから、お話します。今から42、3年前、中古のM6を手に入れましたが、製造後3、4年と言う所であったでしょう。まだ新しい部類のものです。測定してみますと10kHz以上が下降気味でありました。M6の振動系の質量はM7の3倍ですから、これが原因で高域が伸びないのだと考え、愚かにもせめて制動用のグリースを減らして高域を延ばそうと考えたのでした。そしてねじを外してカヴァーを開け、細い銅線でコイルとポールピースの間のグリースを掬い取ったのです。その時の感覚を今だに覚えているのです。結果は良くありませんでした。取り説には「決して」開けないようにと書いてありました。当然サテンさんからは二度と開けないようにときつく叱られました。
ここ迄で私のメインの工程の説明は終りであります。所で、何故第一図(2)から(4)まで特性が変わってしまったのでしょうか。私の考えを簡単に述べてみます。カートリッジが製造後40年も経つと使われているグリースもそれだけの経年変化を受けるに違いありません。グリースはオイル系統の物質であります。オイルには時間と共に蒸発・揮発するものと固化するものがあるようであります。サテンのカートリッジに使われているグリースは固化するもののようで、揮発したり、流れ出したりする性質のものではありません。記事の中で述べましたように初めのクリームのような柔らかさは次第に失われ、次第に固化します。しかし、コチコチに固化するのではなく、柔らかい蝋のように固化し柔軟性を失います。柔軟性を失うと物体への付着性も低下し、カートリッジの場合、LPの溝の振幅以上に指などで動かされますと、設計時に決められた範囲以上にコイルがはみ出ます。すると、コイルに付着していた固化しているグリースは、今度元の位置へコイルが戻される時ポールピースなどに接触してそこへ付着してしまい、コイルと共に元に戻ることが出来なくなります。これが長い間繰り返されますと、コイルに付着していたグリースは次第にその量を減らして行き、終にはコイルに制動をかけるには不十分な量になってしまいます。これがコイルに共振を起こさせる原因であります。従って、性能的には劣化しているグリースでもコイルに補充してやればそれなりの制動効果はあって、大きなピークをある程度の規模にまで縮める事が出来るのでありましょう。第一図の(7)はこの状態のグリースではこれ以上高域のピークを抑えることが出来ず、却って抑えなくても良い数kHzの振動を抑える恰好となっています。私が新しいグリースを入れたいと最後に呟いているのもそのためであります。
これで私のピーク退治の話はお終いでありますが、レヴァー式(M5からM11までレヴァーを使ってコイルの無用な動きを規制している族)では必ずと言って良いほどグリースの経年変化を受けて居る筈であり、オークションなどで明るい音、軽い音などと形容されているのは高域のピークによるものと思います。レヴァー式をお使いの皆様、グリースの劣化にご用心。
私自身としては、何時か古いグリースを新しいものと入れ替えようと考えております。