第三者の本や雑誌などに登場するまっさん
(富澤さんや米澤さんの本など,よく知られているものや,公式に告知があったもの以外で,さださんについて他の人が書いている,という分類で始めましたが,今では「原則として」ということになってしまいました.)
単行本
- 哀しき紙芝居,笑福亭鶴瓶,pp. 246-250,シンコー・ミュージック,1982年
「僕もファンのひとりだった ●さだ まさし●」と題して,「あれほどビッグな人間になったにもかかわらず、そんなことをちっとも感じさせない。もちろんすばらしい音楽的な才能を持つ、非凡な人間であることは間違いない。でも、現実のさださんは、一見、どこにでもいそうな、平凡な好青年といった感じなのだ」,「いつも感心するのは、ファンへの、暖かい思いやりだ」,などと「彼の誠実な人柄」を称賛している.
- 長崎は歌とともに,宮川密義,pp. 20-29,長崎文献社,1987年
の解説があり, 「GRAPE-1」や八坂神社などの写真とともに
- デビュー前のグレープ(右がさだまさし)
- 49年,筆者にくれたメッセージ
- 「精霊流し」でキャンペーン
- NBCスタジオで
- ヒット謝恩パーティーで
- グレープ解散を決めて別れの握手
と題した珍しい写真が掲載されている
- 銀杏散りやまず,辻邦生,新潮社,1989年
「生生流転」と「防人の歌」〔ママ〕の歌詩の引用が何箇所もあり,
- 「私はいつもこの詩人兼作曲家に限りないやさしさとひたすらな生への真摯さを感じて、それが何よりも先に身に沁みてくる」,p. 11
- 「やはりこの詩人はまさしく曲によって、詩の深みにあるものをこちらへ差し出してくるのだ。…。いったいあの若さでこれほど深い宇宙的な悲しみを表わすことができるものだろうか。それは本当に深い深い人間の感情の根源にぶつかることなくしては歌うことのできない詩であり、メロディであった」,pp. 18-19
などなど(CD「さよならにっぽん」,CD「さだまさしベスト」,文庫本「さだまさし 時のほとりで」参照)
- ピアノでエッセイを,服部克久,扶桑社,1992年
- 「約束を守ってくれたさだまさし、隆之の初仕事」,pp. 94-96
- 「あたらしいもの好きのさだまさし」,pp. 135-136
「暇があると秋葉原などに出向いて新製品のチェックをし、…。電子手帳もゲームウォッチも、まさしの手によって我が家に導入された」
- 「家族全員がB型人間」(pp. 175-176) にも血液型の話で登場
- 夢みるころを過ぎても,岡村孝子,p. 46,TOKYO FM 出版,1993年
「私が“シンガー・ソングライター”というものの存在を知ったのは,さだまさしさんが最初なんですよ」
- 逢えてよかった!,永六輔,pp. 199-200,朝日新聞社,1995年
「威厳を笑う『関白失脚』」に淀川長治さんの「何をしている人?」が載っている
- 虹になりたい,雪村いづみ,潮出版社,1998年
- 「さだまさしさんの歌」,pp. 190-195
- 「さだまさしさんからの花束」,pp. 196-202
- 「虹になりたい」,pp. 259-267
- 心にふるさとがある 18 わが町わが村(西日本),pp. 211-215,作品社,1998年
「江戸の仇は長崎で」(さださんが書いている)
- 言わねばならぬッ!,三波春夫・永六輔,pp. 125-159,NHK 出版,1999年
「1998 夏 長崎から」の楽屋での両氏の対談「長崎の風景」.「さだまさしとお諏訪様の関係」など,まさしの話題が大半で,「長崎っ子の凧と旗」(pp. 144-150)では,「永 ゲストのさだまさし登場(笑)」…
- 「家」の履歴書,週刊文春,pp. 270-278,光進社,2001年
「薄暗い土間で泣きながら食べた祖母の握り飯は自己嫌悪の味」と題して,市川,諏訪,詩島のことなど.「平川荘」の間取り図あり
- おやじのせなか,pp. 159-161,朝日新聞社,2001年
「『悩み事は昼に』と励まされ」(朝日新聞 1998年 8月 31日)
- さよならタバコ 卒煙ハンドブック,京都禁煙推進研究会,pp. 14-15,京都新聞出版センター,2002年(新版2007年)
巻頭インタビュー「さだまさしさんからのメッセージ」
- やさしい言葉 百観音ひとくち伝言集,草野榮應,沙羅の集,2005年
「邂逅」の歌詩の紹介(p. 113).年譜には(p. 284),闘病中に「夢のつづき」の歌詩に励まされたことと,太鼓を叩いてエールを送ったことが.帯にも「さだ まさしさんのメッセージ」として「どんぐり通信」のライナー・ノーツより和上の部分を転載
- 音楽制作にかかわる仕事,知りたい!なりたい!職業ガイド,pp. 22-29,ほるぷ出版,2006年
川又明博さんがグレープ・さだまさしさんについて書いている(pp. 23-24, 29)
- 裁判員制度はいらない,高山俊吉,pp. 75-76,講談社,2006年
特別寄稿「信号も守れない人に裁かれたくない」
絵画・映画・写真集
- 木下陽一写真集 長崎浪漫,pp. 2-3,日本カメラ社,1988年
「長崎は僕の故郷……」と題した序文を寄せている
- 帰国記念展[原田泰治アメリカを行く],p. 131,朝日新聞社,1991年
「ジャカランダの丘(作品 19ページ)を,友人さだまさし氏と再訪(1991年5月マウイ島)」と題した写真が掲載されている
- 原田泰治が描く 日本の童謡・唱歌100選展,p. 11,朝日新聞社,2000年
まさしくんが書いた文と,p. 10 にはまさしくんのモノクロ写真
- 中島潔の世界 1968→2004,別冊太陽,p. 26,平凡社,2004年
エッセイ「風の画家 中島潔さんに」(さださんが書いている).1983 年作の画「雨やどり」が載っているが,まさしの買った画(ビデオ「音楽工房」の冊子「秘花集」に載っている)とはまったく別
- ちひろBOX,没後30年メモリアルブック,p. 27,講談社,2004年
「わたしが選んだ ちひろ展」のメッセージ掲載
- いわさきちひろ 子どもの心を見つめた画家,別冊太陽,p. 39,平凡社,2007年(MasaSingTown Mail Vol.225)
エッセイ「誠実に生きた人」(「ちひろさんの絵本に寄せて」と題した6人のエッセイの内のひとつで,「わたしのえほん」を挙げている)
- まぼろしの邪馬台国,東映,2008年
「宮崎康平師の思い出」(「崎」は異字体)を書いていて,「邪馬臺」の歌詩が載っている(誤りが3箇所も).堤監督が「『関白宣言』のモデルになった夫妻といえばおわかりでしょうか」と紹介していて,まさしも「今にして思えば『関白宣言』のヒントも先生ご夫妻だったかもしれません」と書いている
- 原田泰治 野の道を歩く画家,別冊太陽,p. 53,平凡社,2010年
エッセイ「僕の自慢の兄ちゃん」.p. 142 の画「長崎くんち」に描かれている提灯には SADA, MASASHI, TAIRIKU, EMU などの文字が書き込まれている
文庫
- 翔べ イカロスの翼,草鹿宏,pp. 1-8,集英社文庫コバルトシリーズ,1981年
映画のカットの写真がある
- ぼくの音楽人間カタログ,山本コウタロー,pp. 258-260,新潮文庫,1984年
「楽屋で、一人文庫本を読みながらノートをとっている男がいた」
- ニューミュージック愛をよろしく,富澤一誠,pp. 41-48,講談社文庫,1986年
「たった1曲でいい。その歌が作れたら死んでもいい」
- 夕餉の仕度の匂いがする,諸井薫,pp. 53-61,講談社文庫,1986年
「関白失格」(Masashi Sada Concert Program vol. 20 the 15th Anniversary 参照)
- この夢をこころに,加山雄三,pp. 247-249,講談社文庫,1986年
「英雄について」(ヒーローとルビ)と題した解説を書いている
- 一杯のかけそば,栗良平,pp. 147-152,角川文庫,1992年
「─心根について─」と題した解説を書いている
音楽雑誌
- 新譜ジャーナル No. 110,pp. 100-103,自由国民社,1977年9月
話題の人特別インタビュー「僕の音楽は残された者の心情」
- 新譜ジャーナル No. 118,富沢一誠,pp. 20-25,自由国民社,1978年5月
さだまさし・渡辺俊幸が語る「私花集」レコーディング秘話「愛の距離感と速度感を考えています」
- Guitar ブック AUTUMN,谷康一,pp. 47-53,CBS・ソニー出版,1979年
ギタリスト・インタビュー「あともう1年、アマチュアでやりたかった」
- 新譜ジャーナル No. 149,こすぎじゅんいち,pp. 16-17,自由国民社,1980年12月
北京コンサート・リポート
- 音楽の友 1983年8月号,pp. 157-163
連載 音楽プロ・アマ対談 8 さだまさし/数住岸子
「お二人は小学生の頃、毎日学生音楽コンクールの同年度の九州大会を受けられた…」
「ぼくは五年だったですから、数住さんは六年生で、その年の第一位。」
- フォークギター教室 1986年版,pp. 183-192,講談社,1986年
さだまさし自選曲集「ギターも歌う恋愛奏法」と題して,「恋愛症候群」のギター譜とともに「はっきりいって、いいかげんな曲ですからテキトーにやって…。イントロにブラームスを使用しているけど、…うんちくを傾ける前にはクラシックがいいんじゃないかという安易な発想…。ですからお好みの曲で始めてみてもかまいません。ただし、リストとかラフマニノフは避けたほうがよさそう。…。人前で歌うときは自分で歌詞を差しかえて盛りあげること!…。むしろ、その歌詞の差しかえの妙にこの曲の命があるのだから。(さだまさし)」,同様に「秋桜」と「まんまる」もあり,「アコースティック・ギターの弾き語りで大感動させてくれるアーティスト、今とても少なくなっちゃって、…。僕がアコースティック・ギターを好きになったのは、…サイモン&ガーファンクルに出合ってね、…。現在使っているギターに、テリー中本氏の製作による“マサシカスタム”全7本っていうシリーズがあるんだけど、…低音がヤマハ、中音がギブソン、そして高音がマーティンの音色をだす…。これにダダリオのミディアム弦を張って今一番よく使っている…。…アコースティック・ギターって生きているんだよね。風邪もひくんだよ。とにかく湿気が大敵!軽井沢の霧の中で『防人の詩』をうたったときなんか半年間も風邪をひきっぱなしで、立ち直るまでさらに1年半もかかったんだから。…。…一生アコースティック・ギターと共に歩いていくつもりです」
雑誌
- FMfan 397号,三橋一夫,pp. 225-231,共同通信社,1981年7月6日
一大パロディが込められている「嫁入新聞」,体重が3キロ増えた中国,…
- グラフNHK 459号,pp. 6-11,NHK,1983年8月
ニイハオ!中国 さだまさしふれあいの旅,インタビュー「中国は僕を映し出す鏡だった」
- AUDIO TECHNOLOGY MJ 無線と実験 894号,p. 275,誠文堂新光社,1997年8月
(アンプやスピーカなどの製作記事が魅力のオーディオ雑誌)
読者の一言アンケート「コンサートの PA で感心したこと、不満だったこと」で,名古屋市の山田良治さん(当時 49)
「いろいろコンサートに出かけるが、さだまさしの PA は絶妙のバランスで、ボーカルが柔らかに、また低域は押しのある音、高域はすんなりのびて聴き疲れがしない。その他のコンサートでの PA はよいと思ったことがない」
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